カネヨリマサル「I was」歌詞の意味・考察・和訳|何もわかっていなかった

人間にとって、「わかっているかどうか」、つまり「認知」に関する状態は以下に示す4通りが存在する。
- わかっていることをわかっている状態
- わかっていることをわかっていない状態
- わかっていないことをわかっている状態
- わかっていないことをわかっていない状態
この中で、最も人間にとって危険な状態は「わかっていないことをわかっていない状態」である。
想像してみてほしい。
目の前に茂みがある。いかにも、蛇やら蜘蛛やらが潜んでいそうな茂みだ。
もし、あなたが「蛇がいるとわかっている」なら、意識的に茂みを避けて歩くだろう。
もし、あなたが用心深い人で「自分では意識せずとも蛇がいるとわかっている」なら、無意識に茂みを避けて歩くだろう。
もし、あなたが「蛇がいるかどうかわからないことをわかっている」なら、念のため茂みを避けて歩くだろう。
もし、あなたが「蛇がいるかどうかわからないことをわかっていない」なら、茂みには一切の注意を払わず、茂みを踏んで歩くだろう。
つまり、『the end』である。
想像してみてほしい。
あなたには恋人がいる。お互いに気持ちが冷めているように思えて仕方ない、別れる一歩手前に思えるような関係にあるような、そんな恋人だ。
もし、あなたが「恋人に対して本当に冷めているかどうかをわかっていない状態」で、恋人に別れ話をしたとしよう。
突然、その別れ話をされた恋人は「まるでひとりぼっちになってしまったような寂しそうな声、顔」を見せた。
そう、その恋人はあなたのことを、本当に、本当に大切に想い続けていたのだ。
あなたは、きっとこう思うはずだ。
「この人はこんなにも私のことを大切に想ってくれていたんだ。やっぱり、私もこの人のことが好きだ。」
しかし、すでに別れの挨拶は済ませている。
つまり、『the end』である。
カネヨリマサルの『I was』では、恋愛というものの難しさをロックに乗せて表現している。
しかし、英語の歌詞があってなかなか感情移入がしにくいという方もいるだろう。
簡単にだが、和訳の解説をする。
【サビの和訳】
英:I was in love that summer day when I told you the end
和:私があなたに「さよなら」と告げたあの夏の日に、私は恋に落ちた
英:You looked loneliness
和:あなたは寂しそうに見えた
英:I was in love
和:私は恋に落ちた
【曲の終わりの和訳】
英:That summer day
和:あの夏の日
英:That never come
和:あの夏の日はもう二度とこない
以上が和訳である。
そう、この曲の主人公は、「わからないことをわかっていない」状態で、茂みをおもむろに踏んでしまったのである。
そして、猛毒を持った蛇に噛みつかれてしまい、主人公が望んだ通り『the end』を迎えた。
言うまでもなく、『あの夏の日』はもう二度と、戻ってこない。
月並みな表現だが、人間という生き物は大切なものや人の存在を、失って初めて実感するのである。
そしておそらく、このような経験をした人は珍しくないだろう。
かくいう筆者も、別れ話を済ませた後に涙が止まらなくなり、なぜ別れてしまったのか、自分でもわからなくなってしまったことがあった。
しかし、人間は失敗から学ぶことができる。
きっとこの主人公も、次の恋愛では「自分の気持ち」「相手の気持ち」この双方に対してしっかりと向き合い、幸せを掴んでくれるはずである。
なぜなら、カネヨリマサルの失恋ソングの大半は歌詞の強烈な切なさとは裏腹に、
- 明るさ
- 優しさ
- 前向き
以上のようなポジティブなものを抱かせてくれる曲調だからである。
かくいう『I was』もこの例に漏れず、失恋ソングとは思えない力強いロックな楽曲に仕上がっている。
「次の恋愛では絶対に幸せになってみせる」という前向きさが、曲全体からビシビシ感じ取れるのは、きっと筆者だけではないだろう。
失恋とは、辛く、悲しいものである。
確かに、『あの夏』は『二度と戻ってこない』かもしれない。
しかし、終わりがくれば始まりがくるのもまた、人生というものである。
『あの夏』をいつまでも引きずり続けるのではなく、「次の夏」の到来に心躍らせる、「I will」のスタンスを忘れたくはないものだ。
PS.
カネヨリマサルは季節をとても大切にしているバンドですよね。
『I was』は夏をイメージした曲ですが、夏つながりで『ひらりとパーキー』が個人的に「最推し」の曲です。
『ひらパー』はすでにレビュー済みですので、もしよろしければこちらも見てみてください。