カネヨリマサル「ハッピーニューデイ」歌詞の意味・考察|いまを生きるための言葉

『わたしは世界を変えれない』
このようなネガティブなフレーズから、カネヨリマサル屈指のポジティブソングである『ハッピーニューデイ』ははじまる。
字面だけ見ると、とてもネガティブなイメージが頭に浮かぶのは筆者だけではないだろう。
しかし実際は、希望に満ち溢れた、少し聴いただけで「前向きな曲」であることがわかるような、そんな楽曲。
この「ネガティブなテーマをポジティブに歌い切る」という点こそがカネヨリマサルの真骨頂であり、私たちが彼女たちに熱狂してしまう理由ではないだろうか?
確かに、わたしたちは『世界を変えれない』。
新しい日を迎えても、上手くいく保証なんてない。
むしろ、上手くいかないことの方が多いだろう。
それでも前を向き、自分ひとりではなく『君』と一緒に世界を変えていきたい。
ひとりではなく二人なら、三人なら、、もしかしたら世界を変えられるかもしれない。
こうして、カネヨリマサルは作られたのかもしれない。
そして、きっとこの『君』のなかには、カネヨリのリスナーであるわたしたちファンも入っているだろう。
少し、筆者の話をさせてほしい。
筆者は「30オーバーのアラサー」であり、カネヨリファンのなかでは相当な「年寄り」である。
にも関わらず、実は履歴書の職歴欄にかける情報が1つもない。
まあ、いわゆる「社会不適合者」である。
仕事をしていないわけではないが、10代から20代の多感な時期に人生がうまくいかなくなり、「ひとりでできる仕事」を個人事業主、今っぽく言えば「フリーランス」という形でやってきた。
もう、誰とも関わりたくなかったのである。
しかし、この仕事を10年近くやってきて、集団で働くこと、チームで働くことのやりがい、そして楽しさを知った。
ひとりではできないこと、変えられないことも、二人なら、三人なら、そして組織なら、できるようになるし、変えられることも学んだ。
そして筆者は、この「30オーバーのアラサー」というタイミングで、人生で初めての「就職」をすることにした。
確かに、ひとりは楽だ。
組織のしがらみに縛られることもないし、人間関係の面倒な部分もほとんどない。
でも、できることが少ないし、何よりも『世界を変えれない』。
こんな当たり前のことに、この年齢になるまで気がつかなかったのである。
30を超えての初めての就職活動は、大変だったが、楽しくもあった。
そして、迎えた最終面接の日。
東京駅のハンパなくデカいビルの本社が最終面接の会場であったが、これまで自宅でしか仕事をしてこなかった人間である。
そのビルを実際にこの目で見ると、緊張で何も考えられなかった。足が震えて仕方なかった。
でも、こうなることはあらかじめわかっていた。
自宅でしか仕事をしてこなかった「職歴ゼロの30オーバーのアラサー」に、東京駅のビジネスビルが似合うはずもない。
ひとつ、決めていたことがある。
「面接の直前に『ハッピーニューデイ』を聴く」
ビジネスマンたちが右へ左へと忙しそうに流れていくなかで、荘厳なビジネスビルの前でAirPodsを装着しながら右往左往している、スーツがまるで似合っていない30オーバーのアラサーである。
きっと、周りからは変人にしか見えなかっただろう。
でも、『今日も上手くやるお守り』をもらったような、そんな気分で、最終面接に臨むことができた。
「初めての出勤」はまだ少し先だが、これまでにはなかった生活がはじまることを考えると、不安よりもワクワク感が勝る。
とはいえ、新しい日常がはじまるからといって、『上手くいく訳じゃない』だろうし、『特別』な毎日を送れることもほとんどないだろう。
きっと、上手くいかない日の方が多いだろうし、平凡で、特別とは程遠い毎日の繰り返しだと思う。
世界だって、そう簡単には変えられっこない。
もう30年以上も生きてきて、人並み以上に、苦しく、辛い現実を見てきた自負がある。
そんなことはわかりきっている。
でも、もしそうだとしても、『新しい明日に期待』しながら、『いまを生きる』ことに対して全力を注ぎたい。
もし、落ち込むことがあったら?
もし、辛くなってしまったら?
そんなときは、こう呟いてみる。
『ハッピーニューデイ』
この言葉があれば、『上手くいかない日』でも、『特別じゃない日』でも、きっと笑って過ごせる気がする。
こんなことを考えてしまうくらい、筆者はカネヨリマサルから希望を、そして勇気をもらっているのである。